梅光学院高等学校同窓会
2014年11月21日

梅光100年の歩み 第7回 「梅光の母たち その2」

梅光学院大学 学院資料管理委員長 湯浅直美

 

多くの方が特に記憶に留めて居られるのはマッケンジー先生でしょうか。戦後の卒業生たちが第一に名前を挙げますね。

 

写真1. マッケンジー

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ヴァージニア・M・マッケンジーは1894年(明治27年)5月18日、スコットランドのルイス島に生まれます。1908年(明治41年)米国オレゴン州に移住。1916年(大正5年)リード大学卒。ラテン語、ギリシャ語に秀でた人でした。

 

1919年(大正8年)長老派宣教師として来日、下関梅光女学院に着任し、さらに大阪のウィルミナ、北海道の北星と転任して、1930年(昭和5年)から再び梅光に来ます。戦前の国際事情により、英国籍から米国籍に変わるためいったん離日しましたが、第二次世界大戦が始まって来日出来なくなったことはよく知られています。この間、全米を講演して回り、梅光のための寄付金を集めています。

 

1947年(昭和22年)再来日すると、翌48年(23年)から梅光で教鞭をとり、廣津藤吉の後を受けて第4代院長に就任します。1953年(昭和28年)には、梅光女学院附属幼稚園の初代園長にもなりました。
1958年(昭和33年)定年退職し、帰米。以後も長く梅光の精神的支えとして慕われました。2000年(平成12年)7月6日、ロスアンゼルス市の引退宣教師老人ホームで没、享年106でした。
同じ年同じ月のわずか2日前に、太平洋を隔てて広津信二郎先生が亡くなられたのは、梅光の戦後が終わったこと、20世紀の終焉を感じさせる悲しい出来事でした。

 

讃美歌512番「わが魂の慕いまつるイェス君の麗しさよ」は、マッケンジーが帰米する際に、下関駅頭で教え子たちによって歌われたものです。美しい旋律に寄せて先生を偲ぶことに致しましょう。

 

 

大日06/院前日01/大学文学部准教授 湯浅直美(旧姓 池谷)

梅光100年の歩み(連載)

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