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梅光学院大学 学院資料管理委員長 湯浅直美
先生方のお話が続いたので、今回は制服のお話を致しましょう。
写真1. 昭和6年教室風景
写真2. 昭和10年入学記念
梅光のセーラー服が制定されたのは1924年(大正13年)です。
梅12回生、百元知恵が、「梅光」誌19号(1987年/昭和62年6月10日)で「私共の四年生の時に制服が制定されました」と述べています。この人が4年に進級するのは1924年(大正13年)4月、その年の制定だと判断できます。
最初のセーラー服は、白の2本線に黒リボンです。
この取り合わせの意味はなんでしょう。まず、白の2本線は、1919年(大正8年)第一回の梅光卒業生が学校に寄贈した校旗の2本線から取られたと思われます。その線の意味は、次のように述べられています。
「白色の斜線は月光に照らされたる梅の若芽で、梅光の内的精神を象徴」(梅光女学院史 / 黒木五郎著.1972縮刷版 p.415)
その梅光の内的精神とはなにか、セーラー服制定の前年、1923年(大正12年)3月に初めて作成された卒業アルバムから、さらに読み取ってみましょう。100年記念絵葉書のケースのデザインを思い出して下さい。
アルバムの制作に当たったのは藤山一雄(1889-1975)です。藤山は、表紙を黒とオリーブの2色にして、「オリーブは青春、黒は清教徒気分」と色の意味を述べ、2色の交わるところに、金の十字架にからまる2本の白線をデザインし、それを「信望愛」と呼びました。
黒のリボンは「清教徒気分」、つまり、ミッションスクールの象徴で、十字架が「信」ならば2本の白線は「望」と「愛」になります。
つまり、白2本線に黒のリボンの梅光のセーラー服は、ミッションスクールらしく清廉、質素、実直を尊び、華美、奢侈、我儘を嫌い、愛と希望をあらわしたものなのです。
この白線と黒リボンの制服は1958年(昭和33年)卒の梅光女学院生まで続き、その年の4月入学生から変更されました。金2本線に梅光カラーと呼びならわすえんじ色のリボンは、似たようなセーラー服を採用した他校と区別するためだったそうです。
写真3. 校内点描
伝統の制服を着ることには、それを制定した先人の心を受け継ぐという意味もあるのではないでしょうか。
大日06/院前日01/大学文学部准教授 湯浅直美(旧姓 池谷)