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梅光学院大学 学院資料管理委員長 湯浅直美
写真1.校内松林
以前ご紹介した、マツタケも採れた松林の中に立つ和服の先生が藤山一雄です。
100年記念で作成した戦前の校舎の絵葉書を収めたケースは、1923年(大正12年)に藤山が下関梅光女学院初の卒業アルバムとしてデザインした表紙を再現したものでした。
藤山一雄は1889年(明治22年)4月16日、玖珂郡神代村平原(現・岩国市由宇町)に生まれ、東京帝国大学法科大学経済学科を卒業しました。
1921年(大正10年)廣津藤吉に誘われて下関梅光女学院の地理科教諭に就任します。藤吉の後を受ける第2代学院長の候補に推薦された人物であることは、あまり知られていませんが、優秀な人物だったことが分かります。
1926年(大正15年)梅光を退職して大陸に渡り、南満州鉄道、大連市女子人文学院講師などを経て、1939年(昭和14年)から満州国国立中央博物館副館長に就任しています。当時には珍しい野外展示の発想など、博物館活動の先駆的人物として、現在でも高く評価されています。
1945年(昭和20年)由宇町に帰郷した後は、山口県の農村新生運動の推進に携わり、晩年まで県の産業の発展に力を注ぎました。
1951年(昭和26年)、梅光女学院出版局から、廣津藤吉の初の伝記『廣津先生の生涯』を出版しています。
1975年(昭和50年)4月10日、由宇町にて没。享年85でした。
大日06/院前日01/大学文学部准教授 湯浅直美(旧姓 池谷)