サイト内検索
梅光学院大学 学院資料管理委員長 湯浅直美
何回かの連載で皆様に梅光の歴史をお話します、学院資料管理委員長の湯浅と申します。 (写真:梅光学院大学HPより)
これは2014年(平成26年)6月21日、東京支部総会で話させていただいた内容を少し詳しくしたもので、当日ご都合で総会に出席なされなかった皆様にも楽しんでいただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
写真1.ケネデー館
この建物は1914年(大正3年)に建てられた旧本館、ケネデー館です。木造2階建の西洋館。
この名称は、寄贈者のジョン・スチュアート・ケネディ(1830-1909)から取られています。ケネディはスコットランドからアメリカに渡り、鉄道と銀行で財をなした人物でモーガンやロックフェラーと並ぶ大富豪でしたが、子どもがいなかったため、遺産はメトロポリタン美術館、コロンビア大学などに贈られ、さらに米国北長老派教会の伝道局に贈られ、海外伝道の資金になりました。その中から3万5千ドルが山口の光城女学院に届いて、下関梅光女学院を生むきっかけとなりました。当時の円ドル相場では約7万円になるようです。
光城女学院の理事だったジェームス・B・エーレス(1859-1940)がこの寄付金を使って下関に新しく合同校を作ることを、長崎の梅香崎女学校のウィルス・G・ホキエ(1883-1949)に働きかけ、それが実現して梅光が生まれました。エーレスは梅光の直接的な生みの親、初代設立者として、また2代理事長として、覚えていただきたい人です。
写真に写るケネディ館は1945年(昭和20年)7月2日の下関大空襲で焼失しました。現在の本館が建ったのは1951年(昭和26年)4月のことです。旧本館と同じ位置に再建され、建物の前に写っている石段は今も同じところにあります。100年の歩みを足元から眺めている石段です。
石段の横には、2014年6月5日、「梅光の先達たち」と題した顕彰碑が建ちました。ヘンリー・スタウト、服部章蔵、廣津藤吉、バージニア・M・マッケンジー、広津信二郎の5人の写真と略歴を刻んだものです。下関にお帰りの節は、丸山町にお足を運んで見に来て下さると嬉しいです。
今の本館も老朽化が進んでいます。これから先も長く後世に残していくか、あるいは新しく建てなおしていくか、皆様のお知恵をお借りしたいと思っています。
お目に懸けているのは、1930年(昭和5年)に作成された梅光女学院の絵葉書の画像です。廣津藤吉が作成した学校グッズ絵葉書の一つです。この絵葉書を含む絵葉書セット(9枚)を作りました。1セット1,000円です。セットのケースは卒業アルバム第1号表紙(藤山一雄デザイン)を再現したものです。
購入御希望の方は、梅光学院学院資料室(℡ 083-227-1037)にお問い合わせください。
大日06/院前日01/大学文学部准教授 湯浅直美(旧姓 池谷)