サイト内検索
梅光学院大学 学院資料管理委員長 湯浅直美
戦前、梅光の講堂は下関市内でも立派な建物の一つだったようです。本格的なグランドピアノがありましたから、海峡を行き来する音楽家たちが立ち寄って、練習場所にしたり、コンサート会場にしたり。
このピアノを使って学び、ピータースから教えを受けて、音楽家になった卒業生も多かったようです。
世界的な有名人もやってきました。
写真1. ヘレン・ケラー
1937年(昭和12年)5月25日、初めて来日したヘレン・ケラー(1880-1968)が日本全国を講演して下関に来た時の写真です。下関市主催の講演会の会場が、梅光の講堂でした。昼夜2回の講演があったそうです。トムソン嬢と日本人通訳の2段階を経ての講演でした。
ケラーの宿泊先は、地元の実業家河村幸次郎(1901-1994)宅でした。下関市立美術館は彼の個人蒐集を基にして設立されたもので、開館時に河村氏は名誉館長の称号を贈られています。
ヘレン・ケラーと言えば、塙保己一(1746-1821)との関係も有名ですね。『群書類従』を編纂した塙保己一のことを、アメリカ留学に行った日本人から聞いていたヘレンが、来日して最初に訪れたのは温故学会だったそうです。学生時代『群書類従』のお世話になった、大学日本文学科(国文科)の卒業生も多かったのではないでしょうか。
大日06/院前日01/大学文学部准教授 湯浅直美(旧姓 池谷)
貴校の卒業生名簿に、橋口 稔子さんはいらっしゃるでしょうか?
かって、ご縁のあった、manishな印象の元ジャーナリスト。80歳近い、丸顔で、目鼻立ちのはっきりした知性的な面差しをした方でした。私が ヘレンケラーを尊敬していることをお話すると、ヘレンケラーがトムソン女史、岩橋武夫を伴って、訪下関して、貴校講堂の演壇に立ち講演している記念写真を、ご自分のアルバムから剥いで下さいました。私が橋口さんより聞き書きの写真裏のメモには昭和13~4年ころのことだったとあります。橋口さんは、とても記憶力の佳い方ですたが、今回の記事とは少しづれていますね。 私は、逆境に打ちひしがれず、努力 前進する女性に、この写真を見せてきました。
橋口さんへの感謝と追悼の念を大切にしております。
貴校の末永いご発展をご祈念します。